東京高等裁判所 昭和48年(行ケ)119号 判決
一 原告がその主張の発明につき一九六三年三月二六日ドイツ国において特許出願をし、これに基づく優先権を主張して特許庁に特許出願をしたこと、その後原告主張の審決が成立し、その謄本が送達されるまでの特許庁における手続の経緯、右発明の要旨及び右審決の理由の要点に関する原告主張の各事実は、当事者間に争いがない。
二 右に認定したところによれば、右審決は、その理由として引用刊行物がこれに印刷された発行日たる一九六三年三月二五日に頒布されたものと認定し、引用刊行物を本願発明のドイツ国における特許出願当時、公知文献であつたとし、これとの対比から本願発明の進歩性を否定したが、引用刊行物の頒布の日の右認定は、発行日の明記がある刊行物はその発行日に頒布されるのが通常のことであるとし、これを前提に、反証がないとみて、事実上の推定を働かせたものと考えられる。
しかしながら、特許法第二九条第一項第三号がいわゆる公知文献として掲げる「外国において頒布された刊行物」とは、外国において一般公衆が閲覧しうる状態に置かれた刊行物をいうものと解されるところ、刊行物がこれに印刷された発行日に右の意味で、頒布されるのがドイツ国においては通常であることを認むべき証拠はない(まして、右審決のいうように、発行日の明記された刊行物はその発行日に頒布されたものとみる一般の慣行があることは、当裁判所が全く与り知らないところである。)のみならず、成立に争いのない甲第二号証の一、二、第三、四号証、第六号証、第七号証の一ないし六、第八号証及び第二一号証によると、ドイツ国ハイデルベルク市郊外ワインハイムに在る出版社フエルラーク・ヘミー・ゲー・エム・ベー・ハーは、不定期刊行の学術誌としてユスタス・リービツヒス・アナーレン・デア・ヘミーを刊行し、図書館その他予約した一般の購読者に直接郵送する方法で配付していたこと、その第六六二巻に当る引用刊行物(これが不定期刊行物であることは、当事者間に争いがない。)は、その総数二、三七二冊が一九六三年三月二五日印刷製本を完了して右出版社に引渡され、同日午後すべて同社から予約した各購読者宛郵便に付されたこと、当時のドイツ国における郵便実務によれば、ワインハイムの郵便局において午後に郵送を受付けた雑誌が当日中に名宛人に配達されることはありえず、実際にも、引用刊行物が同地から二〇キロメートル以内の距離にあるルトウイヒスハーヘンの購読者でさえ、その配達を受けたのは翌々日の二七日であり、その他少くとも数人の購読者に配達されたのも同日以降であつたことが認められるから、もはや右審決が発行日の明記された引用刊行物頒布の日の認定について用いた前記のような推定が成り立ついわれはない。被告は、この点に関し、右推定を肯認すべき理由として出版社が発行日を明記したことの意図及びこれによる一般購読者との約束事を主張するが、仮に発行日の明記に右主張のような事情があつたとしても、これがため発行日に頒布されているのが現実であるとすることには飛躍がある。
そこで、あらためて引用刊行物がドイツ国において本願発明の出願の日たる同月二六日以前に、その購読者のうち誰かに配達され、したがつて一般公衆が閲覧しうる状態に置かれたというべき事実が発生したことについて、他に証拠の有無を検討してみても、これを認めるに足る証拠はない。もつとも、刊行物が購読者に郵送されるのは、発行者がその内容を一般公衆に伝達する目的をもつてすることであるから、その刊行物は郵便に付された段階で、すでに公然化したと考える向きもあろうが、その郵送先たる購読者でも、これを配達されるまでは、その内容を了知することができないのが普通であつて、それ以前に何人かによつてこれが開披閲読されるような異常な事態は、一般公衆による閲覧可能な状態と同視すべくもないから、郵便に付された刊行物は、一般公衆たる購読者の一人がはじめて、その配達を受けるまでは、まだ公然性を帯びたということはできないのである。
なお、被告は、不定期刊行物たる引用刊行物でも、一般公衆がその発行日を出版社に問合わせて当日、出版社に赴けば、その入手が可能であつた旨を主張するが,先に認定したように、引用刊行物はその全部数が発行者によつて同日午後郵便に付され、既に一般公衆が、これを入手する余地はなかつたから、被告の右主張は、事実にそぐわないものであつて、採用することができない。
そうだとすれば、右審決は、引用刊行物をもつて、本願発明の特許出願当時、公知文献であると誤つて認定し、その結果、これと対比して本願発明の進歩性を否定し、これを理由に原告の審判請求が成立しないという、誤つた判断をしたものであるから、違法であつて、取消しを免れない。
三 よつて、本件審決の取消しを求める原告の本訴請求は、理由があるものとして、これを認容する。